「裸でも生きる」

「裸でも生きる」山口絵理子 講談社


バングラディッシュでジュート生地を生かしたバックの製造業を起業した女性(25歳)の半生をつづった本。(自分よりも年下!)


アジア最貧民国のバングラディッシュでビジネスを立ち上げた経緯だけでなく、自分がなぜ起業したのかを小学生のときから振り返っております。いじめにあい、強くなりたいと思い男子柔道部に入り、政治家になりたいと思い工業高校で偏差値40から慶応に合格し、国際機関でインターンをするも、現場でギャップを感じ。。。

バングラディッシュに突然向かい、大学院に入り、その後起業する。様々な人に裏切られ、途上国でビジネスを行う難しさを思い知らされの連続。それでも、なんとか耐えて前を向いているところに、勇気づけられます。


日本でもやもやしている・悶々としている・やりたい事が見つからないと思っている人にお勧めの本ですね。


印象に残ったフレーズは、あとがきに書いている。

「バングラディッシュの人が自分に問いかけているような気がした。「君は何でそんなに幸せな環境にいるのにやりたいことをやらないんだ?」って、(中略)バングラディッシュで見てきた現実の中で自分の人生に最も影響を与えたものは、明日に向かって必死に生きる人たちの姿だった。食べ物が十分でない、綺麗な服も無い、家族もいない、約束された将来も無い。そして生活はいつも政治により阻害され、綺麗な水を飲むにも何キロも歩かなければならない。そんな人たちが必死に生きていた。(中略)目の前には、たくさんの壁がある。周りが全部的に見えるときもあるし、いつも泣いてばかり。しかし、泣いた後に思う。失敗したって転んだって、すべてを失ったって、また私は裸になればいい。」


すぐに、やりたいことを見つかる人なんていない。自分もまだまだ見えていないことだらけ。一歩づつでも、半歩づつでも、前に進む中で、自分の使命を見つけてきた過程がこの本からはすごく読み取れました。そして、この本のタイトルのように、裸でも生きるとさえ思えれば、底には一皮向けた自分がやってくると思う。この心底、腹をくくれた状態が重要なのだと、本当に思う。


裸になればいいじゃないの。



※書評より引用


一歩踏み出す勇気がここにある!
イジメ、非行……居場所がなかった青春。強くなりたいと入部したのは「男子柔道部」。そして偏差値40から3ヵ月で一流大学合格。大学を卒業し、本当の現場を見たいと渡ったアジア最貧国バングラデシュ。腐敗にまみれた国で見つけた眠る素材、出会う人々。やがてバッグ造りで起業を決意。数々の失敗、挫折、裏切りに遭いながらも歩みを続け、途上国発ブランド マザーハウスを軌道に乗せて各マスコミで最注目の女性の、明日へ向かう力に溢れたノンフィクション!
「途上国発のブランドを創る」。こんな突拍子もないアイデアを実現させるべく奮闘中の女性社長・山口絵理子さんの自伝エッセイです。まだ20代半ばですが、ここまでの彼女の歩みは、まさにジェットコースターのように波瀾万丈。涙と笑いがぎっしり詰まっています。何度号泣するような絶望的な事態になっても、つねに前を向く生き方は、いまや多くの学生や若い社会人に感動を与えています。
小学校時代は陰湿なイジメにあい、校門をくぐれないような子供。その反動から中学で非行に走ります。しかしそこにも居場所がなく、偶然出会った柔道に打ち込みます。どうせなら強くなりたいと、進学した先は「男子」柔道部が強かった工業高校。何度も監督に直訴して入部し、地獄のような特訓を重ね、3年生のときに全日本女子柔道ジュニアオリンピックカップ-48kg以下級で7位に入賞します。
そこからまた一転、まだ自分にはできることがあるはずだと思った彼女は、ほとんどの生徒が就職する偏差値40の工業高校に在籍していたにもかかわらず、3ヵ月の猛勉強で慶應義塾大学総合政策学部に合格します。竹中平蔵ゼミで開発学という学問に出会い、発展途上国の経済成長理論を学び、途上国援助に目覚めます。
しかし、大学のインターン時代に夢かなって働くことになったワシントンの国際機関で、途上国援助と言いつつ誰一人途上国に行きたがらない現実に大きな矛盾を感じてしまいます。有名大学を出たエリートじゃ本当の援助なんてできない! いても立ってもいられなかった彼女は、「アジア」「最貧国」で検索して出てきた「バングラデシュ」に突然渡ります。
バングラデシュで彼女を待ち受けていたものは、開発学の教科書には載っていない、すさまじい腐敗と格差でした。役所に水道を通してもらうのも賄賂、交通事故で警官に救急車を呼んでもらうことまで賄賂。この衝撃に彼女は怒り、そして誰も思いつかなかったアイデアをつかみます。必要なのは途上国への施しではない。貧しい国で作られたものを欲しくもないのに「かわいそうだから」という理由で高い値段で先進国のバイヤーが買っていくフェアトレードという発想じゃダメ、先進国の消費者が本当に「これカワイイ!」と思うものを、このアジア最貧国で作ろう。
こうして23歳のときにバングラデシュで起業を決意、特産のジュート(麻)を使った高品質バッグを現地で生産し輸入販売するマザーハウスを設立します。その後、現地での工場探し、物づくりに対する根本的な考え方の違い、嘘や裏切りなど、日本ではあり得ないような苦難の連続を次々と乗り越えていきます。

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