知性(理性)と感性(野性)

最近、考えているテーマに関して書き記してみる。
知性(理性)と感性(野性)に関してで、特に結論はない。

人は知性(理性)と感性(野性)の間を行き来しながら生きている。
僕たち人間は動物であり有機体の上にのっかり、他の動物には持っていないと思われている頭脳を持つことで知性(理性)を持っている。 生物学上ホモ・サピエンスという種に属している。

しかしホモ・サピエンスというこの動物は、知性(理性)では説明がつかないことをする。 矛盾に満ちた僕たちは、ときに知性(理性)で論理的に説明を試みるも、つじつまが合わないことがたくさんある。平和を愛しているのにときに喧嘩や戦争したり、家族が大事なのに不倫したり、体にわるいとわかっててもタバコや酒を飲む。でも感性(野性)に目を向けるとこういった矛盾は全部説明がついてしまう。
喧嘩(戦争)するのは競争性であり、勝ち抜くことで遺伝子を残そうとすること、
不倫するのは、ホモ・サピエンスは一夫一妻性ではないため、(※注記)
タバコや酒を飲むのは、あえて体にわるいことをしても元気なことをみせることで、自分が健康体で強いところを示す行動原理であったりする。(ヤンキーがチキンレースをして度胸試しをする的な)

現代は、動物の中で唯一持っているとされる知性(理性)を、人間は自らが作り出したテクノロジーによって侵害・侵食されつつある。日々テクノロジーの進化は進み、これまで矛盾やジレンマを受け入れるしかなかったことさえも、白日のもとに晒され正論や論理的に正しいとされるものだけをとって評価される社会になってきている。正論に見えることの存在感が増している。 SNSやシェアリングエコノミーはいい人を演じ続けなければならない同調圧力を増すし、AIやロボティクスの進化により人間が特有で持っていたはずの知性さえも代用が容易になり、その存在意義が危ぶまれつつある。知性又は論理性だけを唯一の能力判定の基準にするなら人はもうAIには勝てない。

人がより進歩・進化するためにも、知性(理性)と感性(野性)の両方の特性をより効果的に使うことが改めて重要である。
ホモ・サピエンスは攻撃性を持っている。それが故に戦争は起きる。攻撃性は競争的であることにかなり近似するし、競争的であることは人類の進化に非常に貢献してきた。論理的に正しいことや一見正論に思えることが実は社会全体には非常に悪影響を与えているのではないかと思う。
合成の誤謬がどんどん拡大してるのではないか。
 例 環境問題、貯金や内部留保、少子化問題
また違う現象から見るとノイジーマイノリティーの存在
 例 一見すると正しそうなクレームも、点を重要視するが故にサービス全体を停止しなくてはならなくなる等

個別の合理行動が社会全体で見た場合に合理的でないことが多発生する。
特に最近は感性(野性)が大事だと言いながら知性(理性)で説明できないものを単純化して排除しているように感じる。知性(理性)でない、又は説明できないものは悪として単純に排除される。もともとの本質的な大事な部分を失っても、点で重要だとみえるポイントを優先している。

当然 ではあるが野性のみを、正当化するつもりはない。野性(感性)のみでは人類も社会も進歩しない。しかし野性(感性)をなくしては全体からみたときに最適解にはならない。我々は生物であり動物である点を忘れてはならない。

AIやロボティクスの進化の先に、知性(理性)と感性(野性)の融合をうまくした人こそが適者生存するのではないか。
知性(理性)でのみ判断し行動に移さないタイプ(他者批判のみ)の人は適者生存から外れる。
どんどん社会は進化し、人であることの特権である知性(理性)を活かすためにも、もっと人間の感性(野性)の部分に注目したほうがいいのではないか。知性(理性)の存在感が低下しているとは言わないが、論理的に正しいと思えることだけが正しいわけではない。

知性(理性)と感性(野性)の均衡ポイントにこそ僕たちの未来がある。

そんな気がする。

※注記
銃・病原菌・鉄で有名なジャレド・ダイアモンドによりホモ・サピエンスの生存戦略はゆるやかなハーレム型一夫一妻形式をとると説いた。つまりホモ・サピエンスの感性(野性)はつがいのみを形成するわけではない。

Top