Author Archives : 安倉宏明

福岡市主催のセミナーに参加してきました。

先日、福岡を中心に美容・飲食分野で活躍されている永露さんのオーガナイズで福岡市に主催いただきました講演に呼ばれて話してきました。 参照https://iconic-intl.com/content/givespeechathukuoka/https://teachme.jp/contents/416527 AERA誌の選ぶ「アジアで活躍する日本人100人」に選出されたベトナム最強ベンチャー経営者4人が登壇!!日 時:2015年9月5日(土)13:00~  会 場:福岡市スタートアップカフェ主 催:福岡アジアビジネス支援委員会(事務局:福岡市)   他の講演者にベトナム最大のオフショア開発事業を展開するエボラブルアジアの薛社長と、2014年現地外国人向け媒体が選ぶレストランNo1にも輝いたPizza4Psの益子オーナーと対談してまいりました。 福岡に行って見て感じたのは、まず福岡市としての都市の魅力です。空港からの立地や食事の美味しさ、そしてサービス業に従事する人のクオリティーの高さがアジア時代において福岡が他の都市と比べて明らかに競争優位性が高いです。個人的に福岡に住みたいと結構本気で思いました。そして、自分の事業に於いては、地方中核都市の可能性を改めて感じました。昨年から東京にて事業展開を本格化させ、グローバル人材サービスを日本国内向けに展開を始めました。まだまだ社員数も少ないですが、どんどん採用を拡大し人員を増強していく見込みもすでに立っています。日本国内向けに「海外で働く。海外の人を採用する。」事を推進する事業を行っています。海外で働く事は東京だけで行うのではなく、日本全国、特に地方にこそ可能性があるのではないかと改めて思いました。東京に比べて産業が小さい地方は、企業から見ても成長を志す上でアジアに出て来ます。雇用の場もアジアに移ってくる時代がより増えていくと予想できます。日本の大学を卒業した後にアジアで働くことを志すことも、気持ち次第で出来てしまいます。そういった人や海外に志す企業を増やすためにも地方都市で事業を展開する必要性と可能性を感じました。 また、実際のパネルディスカッションにて話したことの抜粋が以下です。 モデレーターからの質問「全てにおいて事業をしていくうえで肝となる人材に関して、ベトナムならではの話はありますか?」 自分の答え「ベトナムで経営をしていく中で、駐在員の方、現地で経営されている方、いずれにしてもマネジメントとする立場にいる方の話で上手く行っていない方に共通する話が有ります。「何か物事を、部下であるベトナム人が●●●だから上手く行かない。」といった話が非常に多い。何事も成功者は自責に捉えるということから全く逆の発送をしてしまいがちです。文化・言葉・教育全てにおいて違う相手と共に仕事をしていくうえで生じる摩擦は消して少なく有りません。日々異国で仕事をしていく中で抱えるストレスが無いわけでは有りません。経験の少ないベトナム人社員が、育ってきた背景が全く違い、使用している言語も違う中で理解しあうことが難しいのも事実です。ただ、事業運営をしいてく上で上手く行かない又は失敗原因を最初にベトナム人スタッフにあげてしまう人が少なく有りません。というよりもむしろそちらのほうがメジャーと言っても過言では有りません。 一方、僕達日本人全員に言えていると思いますが、僕も含めて心のなかに必ずどこかで、東南アジアの人を下に見ている自分がいます。僕はそういった気持は全く無い。100%潔癖にベトナム人のことを見れているという人がいるかもしれませんが、基本的に一切信用してませんw実際に、ベトナムにいると、全く平気で横入りして来るし、クオリティーに対する意識が低かったりなど生活や仕事面で常にズレというのは感じまし、正直今でも、そのたびに、イラッとします。そういった自分がいるということを常に認識した上で、共にこのベトナムという地で仕事をさせてもらっているということを忘れてはいけないと思っています。 僕たちはベトナムで仕事をさせてもらっているのです。仕事をしてやっているのでは有りません。いつも忘れそうになる自分がいるので、常に毎朝でもいいから言い聞かせたほうが良いと思います。 したがって、常にベトナム人だからとかといった部分が出てしまう事を戒めなければなりません。僕たちは、現にベトナム人のたくさん良い所も知っています。物事に対してあまり気にしない寛容さ、屈託ない笑顔、未来に対してとことん楽観的であり、仕事に対して、素直に取り組んでくれる。 僕たちは、ベトナムの人と共にご飯を食べ、共に生活をし、共に同じ目標や夢に向かって事業を運営しています。共に歩む勇気や覚悟のない上司や同僚と一緒に働きたいと思うでしょうか?仮に、あなたがアメリカ系企業で働いていたとして、アメリカ人の上司に、「日本人はっほのんと使えないよなー」という態度で接せられて、一緒に夢を追いたいと想うでしょうか? こう問いかけると、極論になってしまうかもしれませんが事実、現場では日頃このようなことが起きています。僕らは、まず一緒にごはんを食べ、共に同じ夢と目標を追う仲間であるという点を決して忘れてはならないです。 自分の中にある人を区別してしまう自分を認め、そういった自分の中にあるネガティブな部分を出来る限り排除する姿勢を持ち、共に会社のメンバーと同じ夢と目標を持つために自分自身の一番の時間を使いましょう。 それが国境を超えて働く上で、人材面の面で一番最初に気をつけなければならない点です。」  

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22.Sep, 2015

これからのグローバル化を考えてみる。(後編 20世紀、21世紀、これから)

前編は帝国主義辺りまでの歴史を振り返ってきました。 いよいよ本題です。 20世紀   帝国主義時代に比べて人の移動という意味では停滞期だったのではないかなとも居ます。   企業自体は、常に生産性を追求するために他国に事業展開をらはじめました。いわゆる企業の駐在員みたいな仕組みができ始めたのもこの頃ではなかいでしょうか。あくまで、本国に帰ることを前提とした雇用体系。 日本だけでなく世界的な流れとして、これまでの国家及び軍人を起点としたグローバル化から企業をら中心としたグローバル化だったのではないかと思います。 大企業がその資本力を武器にどんどん世界に進出した時代だと思います。 企業がグローバル化したけど、人はそれほどグローバルにならなかったのではないかと思います。 帝国主義時代のほうが、満州国に移り住んだりしていたわけですね。 21世紀 そしてこれから これからの事を言いたいと思い、本ブログを書き始めたのですがようやく、「これからの未来」に関して到達しました。 これからのグローバル化は「個人を中心とした」形に変わると思います。 経済や社会の仕組みの変化が激しく変わる中で20世紀の企業を中心としたグローバル対応は、コストがかかり過ぎる上、柔軟さに欠けます。 また、一方で、海外で生活するためのハードルが、劇的に下がり始めてます。 ■日本のTVがインターネット回線を経由して毎日当たり前に見ることができる。  ■日本人学校が世界中の主な都市には必ずある。  ■各地に日本人街が規模の大小あれどある。 ■新聞?そんなもん読まなくてもインターネットの記事で十分すぎるほど日本の情報得られる。  ■飛行機の値段安くなり本数も劇的に増えたので、毎月日本に帰国する事が可能=複居住が可能  ■現実的に海外での就業機会が増えているため、働くことが可能 ■エンジニアやデザイナー的なフリーで仕事をしている人はむしろ新興国に住めばコストダウン ここまで日本人としての生活が出来てしまうと、その昔移住した人はその国の人にならないと生活できなかった時代ではなく、違う国に居ついても、元いた国のアイデンティティーを保ちながら生活したり教育を受ける事が出来る。 そうすると自然に地域にオリエントしない新しい形の人になると思っています。 これはもちろん日本人に限らず、世界各地で同様の事が起きてます。 一番遅れてるのがアメリカなのではないかなと、逆に思ったりなんかもしてしまいます。 (これは、ある意味でですね。) ようは、移民にならなくても世界の地域に属さないで生活する人たちがものすごく増えると思うんですね。 22世紀ぐらいには、人口でいうと1-2割くらいがそうなるのではないかと。 そうなった時の国家のあり方、法律、税金などの整備がまだできてませんが、確実にその方向に進んでいくと思います。 ただ、それとは逆により国に対するアイデンティティがより強くなっていく可能性が高いと予想してます。 つまり、いわゆる僕らは地球人にはならないと思うのです。 幕末の頃、坂本龍馬のような開明的な志士は、「長州、土佐、薩摩ではない日本、日本人のために何が必要かを考えなければいかぜよ。」と 現在、僕たちは国というアイデンティティを強く持っています。  オリンピックもワールドカップも国別対抗ですよね。 国家という概念が強くなったのは、フランス革命(1787年)からだと言われてます。  それまでは、自分のアイデンティティというのはメインが宗教やもっと狭いエリア(地方や地域)にあったと言われてます。  なぜなら、一般の臣民にとって、国家の王様は税金を取られる対象で特にこの王様のために生きているという認識はあまりないわけですね。  だから、リンカーンが1863年当時に言った「人民の人民による人民のための政治」が未だに名言として残っているわけです。  それまで、政治の主体は王様で、国民っていうのはアウトオブ眼中なわけです。  ようは、フランス人とか日本人とかっていう概念が生まれたのが18世紀末ごろからなんですよね。  時が経て、21世紀初頭に生きる我々のアイデンティティは国籍か宗教のどちらかが圧倒的に多いと思います。 宗教の話は置いておいて、国籍にフォーカスを当てると、僕の場合は日本人です。  では、22世紀頃にどうなってるかって言うと、もちろんわかりません。  ただ言える事は、場所や国家に縛られずに生きる個人が想像以上に増えるということです。 これは、世界の仕組みがグローバル化することで、統一化が進み、競争の土壌がにますます一緒になってきたということです。 つまり、ローカルビジネスのフィールドがどんどんとなくなっていき、世界中有で同じレベル感で競争をさらされていくということです。 そうなると教育の仕組みも世界で統一化され始めていきます。 日本人がマレーシアで教育を受けて、アメリカの大学を出た後、東京で働くという人生レベルで様々な場所に移動する人が激増すると思います。  そしてまた、生活の場所自体も複数持つ人が増えると思います。  荷物も各拠点に起き、家財道具は場合によってはシェア。  実際に、自分もオフィスのために家具は買いますが、自分の家や家財道具はほとんど無いと言っていいです。  東南アジアは外国人向けに家財道具を含めてアパートやマンションを貸してくれます。 そのため、保つ必要がありません。 冷蔵庫も電子レンジも持ってません。 一ヶ月のうち東京に2週間、上海に1週間、ロンドンに1周間みたいな感じで。  また幼い時期から、様々な人種の人と交流し、様々な場所で生活する。  こういったライフスタイルが今では一部の人達だけですが、どんどん増えるのではないかなと予想します 100年前に海外に移住するということは、自分の国を捨てることを意味していたと思います。  新たな土地で生きていくために、必死に生活していたと思います。 言葉もこれまで以上に多くの外国語を使い分けて話すでしょう。 まだうまく自分自身の中でもまとまっていないのですが、これからのグローバル人というか移民は、これまでと同じではないということです。 血筋や国籍以上に、どこの国のオリエンテッドなのかというのが基盤にありながら、グローバル人でなければ少なくとも社会の中心ではいられない。 多言語を扱うのはむしろ当たり前で多言語でない人のほうが少数派になる世界です。 個人的な話になるのですが、長男が4歳です。 日本的な小学1年生になるまで残り3年弱有ります。  海外在住者にとっての悩みとなるのが子供の教育をどうするかです。 ホーチミンにも日本人学校は有ります。 一般的には、日本人としてのアイデンティティなり漢字をしっかりと教えるためには、日本人学校に入れたほうが良いと言われます。  インターナショナルスクールに入れるか日本人学校に入れるかはまだ最終的に決めていません。  最も正当な考え方(王道な考え方)は以下です。 アジアと言う英語が主ではない国で、英語のノンネイティブの親から生まれた(=家庭)の子供が英語で教育を受けることの弊害があるため良くないと。 つまり、言語が分散されて良くないと言われる所以です。 学校:英語   家庭:日本語   公的な場所:ベトナム語  しかし、自分は実はそんなことはないのではないかとも考え始めまてます。  自分の息子たちが社会へ出て活躍する30年後ぐらい、ちょうど今の自分の年齢になる頃は、2045年頃がどうなのかと。 前述したような事がどんどん進んでいったらどうなんだと。  逆算した時に、この期のグローバル化する社会のヒントがある気がしてます。  (ここでは、教育論を語るわけではないので日本人学校が良いかインターナショナルスクールが良いかは一旦外れます。) もうもはや、言語やカルチャーが場所に依存する要素がどんどん減っていくのではないでしょうか。 複数の場所で多様な人種と接し続けて教育を受ける人たちが増えていくことは確実です。 そういった多様性や複数拠点を同時進行で進んで育っていく人が増えていくと予想されます。僕らの子供の頃は、転勤族と呼ばれる人たちが日本国内を転々としたように、それが海外間になるイメージです。 そして、これからのグローバル社会で影響力を行使し活躍してくためには、多様なものを受け入れるキャパを持つ人が活躍するのではないかなと思います。 漢字を確実に書ける人ではなく、多様性や不確実性の波を泳げる人ではないかなと感じています。(もちろん、日本人として漢字や日本語独特の表現を理解する重要性を否定するつもりは有りません。) 不確実ななかでも精神を保ち、未来に向けて今を頑張ることが出来る人が今後求められていく。  こういった人を育てるための教育が世界的に広がっていくと思われます。 もっと言うと、多様性を受け入れ、不確実性をチャンスに捉えられる人材が真にグローバルな人ではないでしょうか そして、複数拠点を同時に行き来するライフスタイルが増えていくため、より個人の所有が減っていくのではないでしょうか。 車を所有すること、住む家を購入することは流動性を下げます。 所有するよりもシェアすることを望む人が増えるのではないでしょうか。家や車は投資用に買うことはあっても、自分が利用するために買う人は徐々に減っていくと思います。 そして、最後に人やお金や情報が行き来する中で、各国がそれぞれ独自ルールで取り締まることに限界が有ります。 したがって、独自の法律だけでは限界があるので、国際ルールで統一するプロトコルが100年とか200年とか掛けて出来ていくんだろうなと思ってます。 今、国際間をまたいでビジネスをしているのでこの問題を痛感しながら生きてます。  何をするにしてもその国の法律に従わなければならない。  一方でビジネス自体は本当に国を超えて取引されてます。…

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10.Jul, 2015

これからのグローバル化を考えてみる。(前篇 ~19世紀まで)

これからのグローバル化を考えてみたいと思います。 僕らは「ワクワクするグローバル化社会を創る」ということをミッションに事業を運営してます。 人や企業が社会活動や生活をする中でますます他国とのつながりが強まる社会で僕らは生きています。 よく、グローバル社会っていうのは最近になって始まったと誤解されている方が多いのですが、歴史を振り返ると人類はグローバル化とともにその歴史を歩んできたとも言えるのではないかと思ってます。 ざっくりと地球の歴史をグローバル化その中で個人の移動(移住)がどうであったかという想像の視点で見て行きたいと思います。 まずは、これからのグローバル化を感がていく上で、過去の人類がどのようにグローバル化してきたのかを紐解いてみたいと思います。あまりにも地球の歴史が長いため、かなり簡略的に記載してしまうし、自分は歴史学者ではないので勝手な解釈である点はある程度許容していただき、もし認識間違いがあれば是非御連絡ください。というのを言い訳にしておいて、本題に始めたいと思います。   農業革命以前(20万年前~1万年前) 東アフリカで生まれた我々ホモ・サピエンスは、農業を覚える前までは狩猟生活民でした。 狩猟採集生活とは、生きていくための食料を自分から生み出さないため、自然に生まれる動物や植物を獲得することで生活してきました。問題点としては非常に一人あたりが生きるために必要な面積が大きいことであります。簡単に言うと、周りにあるものを取って食べてるとなくなるんですね。 捕って食べて、採って食べてを繰り返すと周りに食べ物がなくなるため、どんどん移動しました。 そんな事を繰り返していると、東アフリカからスタートしたホモ・サピエンスは1万年前ぐらいまでには地球全体、正確に言うと最後の場所は南アメリカの先まで行き渡ってました。 どうやって渡ったかのか謎に包まれているそうですが、太平洋の島々にも筏作ったりして渡っていたみたいです。いずれにせよ、冒険家ホモ・サピエンスの側面ですね。 この頃の個人っていうのはどうったんでしょうか?多分意思がある無いにかかわらず、みんなで集団の意志によって行動していたのではないでしょうかね。 もしくは動物を追っていくうちに世界中に移動していったのかもしれません。   農業革命以降(1万年前~紀元前後) 農業を覚えた人類は、定住ということを覚えます。 定住をすることで効率的な農業を覚えました。 定住するとその場所に対して既得権益が発生します。 一番最初に農業が発展したエリアは御存知の通りメソポタミア地域、肥沃な三日月地帯と言われる場所ですね。今は砂漠のイメージが有るエリアも当時は、寒冷化の影響で非常に土地が豊かだったそうです。 それまで所有という概念がなかった狩猟採集民は、農業を覚えたことで、所有の概念を覚え始めました。 所有の概念が生まれていくと、人というのは恐ろしい物で人のものが欲しくなりますね。 権力闘争が各地でガンガンに起き始めました。 最初は、家族や親戚を中心とした集団が、より多くの家族が集まることで村になります。 村になると隣の村を食料を奪ったり、ちょっとしたいざこざがあったりで隣の村を攻めこんだりするわけですね。 それが街になり、民族のようになっていった。 したがってこの頃の人の移動というのは、集団あるいはその集団の長が決定して、他者の領地や食料を分捕るための移動だったと思います。   アメリカ大陸発見以降(14~19世紀前半) 少し時代はとびます。 ここからいわゆるグローバルっぽい感じになってきている感じがしますね。 イギリス、スペイン、ポルトガル、オランダと言った国々がアメリカ大陸やオーストラリア大陸の先住民たちをバシバシ殺戮して人の土地に住み着く時代ですね。 力のある西欧諸国の軍人なり民間人が、ぶんどる時代です。 あのコロンブスが1492年にアメリカ大陸を発見したことはあまりにも有名ですよね。誰が本当にアメリカ大陸を発見したことは一旦議論としておいておいて、このあたりからガンガンに西ヨーロッパの人々が世界を植民地化し始めます。 いわゆる人の領土をぶんどって、このエリアは俺のもんね!お前のエリアはあっちね!ってよそ者同士が未開の地を争う感じです。 アジアで一度も植民地になったことがない国としては、日本、タイ、朝鮮半島、台湾(日本により支配されてますが)のみですね。 リアルに植民地にならなかったのは日本とタイだけ 大航海時代以降は、早い者勝ちの精神で、未開のエリアの権益を力のある者が奪い合う歴史だったといえると思います。 この辺りは封建社会から産業革命、フランス革命やルネッサンスなど宗教と経済と王政などがかなり複雑に絡まり合っているので、一旦シンプルに人のグローバル化だけを考えてみると、「国単位でのグローバル化」だったといえると思います。 その時の王様に許し及びお金を出してもらって、冒険というか海外進出する。うまくいくとみんなで国策に則って移住する。という流れだったと思います。 その中でかなりの先住民族を虐殺したり、奴隷化したりしたと思います。 そしてそこに移動した人は全て、後にその国のアイデンティティに変わっていったと思います。 スペイン系アルゼンチン人や、アングロサクソン系アメリカ人は、基本的にはその土地にいついているため、遠くはなれた祖先が生まれた場所よりも新大陸の地に根付いたと思います。そして多くの人は、生まれ故郷や祖先の地には戻らずに新たな場所に居付き、そこで生活をしていきました。 大航海時代、人は未来のフロンティアを目指して、新大陸に渡ったと思うと本当に尊敬します。 当時は、そもそも国際移動は当然船です。船って沈没するねすよね。 かなりの確率で未開の地に足を踏み出さずになくなったことでしょう。 まとめると、この頃のグローバル化というのは「王」や「皇帝」又は「朝廷」を中心としたグローバル化だっといえると思います。時の為政者が、部下に命じたりなんかして、とにかくあの地を落とせ!!みたいな感じで進んでいったんだと思います。   帝国主義(軍国主義)(19世紀後半~第二次世界大戦まで) イギリスは産業革命の発祥の地であり、圧倒的な国力を武器にインドに東インド会社などを作り当初は自由貿易を謳歌していました。 しかし、産業革命の成功の国であるイギリスも19世紀中盤頃になると、重工業化に後れを取ったために次第に経済の停滞が始まりました。  経済が停滞し始めると、戦争が起きます。この頃の帝国主義というのは、様々な理由をつけて宣戦布告し国家として植民地にさせていました。 なので、多くの場合は軍人を主体として、まず開拓?というか植民地して、その後、民間人を連れてくると。 この頃の御多分に洩れず、いち早く先進国入りした日本も帝国主義となり満州国を、建国してました。 多分ですが、当時僕が生きていたら満州国に渡り商売を始めていたと思います。 帝国主義の時代、世界的に強いものが自分のネットーワークに組み込んでいくための獲得合戦でした。 この頃のグローバル化は、近代的な意味での「国家」が中心となってグローバル化を推し進めていったといえると思います。 個人や企業は国家に後押しされる形で移動しています。 国策的な移民もそうですね。 社会的に貧しい人たちを募ったりして、移民させたりなんかもしました。   ここまで、長くなったので続きは後編でお届けします。 ※珍しく青空になったハノイにて

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10.Jul, 2015

子供の事故からの学び ~ベトナム、ホーチミンでの外資系病院~

今日は経営とは直接関係のない、子どもを育てる中で気づいた話です。 昨日の日曜日、長男が大きな怪我を負いました。 怪我の箇所が、額だったこととその見た目があまりにも重症に見えたためかなり狼狽しました。日曜日だったことも有り長男と長女の二人とプールで遊んだ後、プールサイドのサンデッキで夫婦で会話をしてました。落ち着きのないうちの二人の息子はいつもの如く、周りをゴソゴソとしてました。サンデッキ自体は、高さが1mにも満たないようなものだったので特に危ないと思っていなかったのです。又は、プールの中は水なので、水回りの時は気を使っていたので、陸の部分が意識が薄れていたのかもしれません。サンデッキの周りにいてくれている最中は、危なくないと思っていたので、特に気に留めるわけでもなく会話を続けていたのですが、すぐ後ろで鈍い音とともに、長男が鳴き始めたのですぐ駆け寄りました。 「また転んだな」ぐらいに思って駆けつけたところ、出血しているようなので、大丈夫かなと見てみると、愕然としました。 怪我の箇所が切れているだけではなく明らかに陥没していたのです。 人生で一番狼狽した瞬間でした。 これまでに見たことのないような怪我の症状でした。 頭が割れてるんじゃないかと思ってしまい、その瞬間頭が真っ白になりかけました。 ただ、前頭部を打ったので、後頭部ではないこと、それに泣いていること、意識がはっきりしていること、そして何より私の問いかけに返答しているため、自分も気を取り直し近くのかかりつけの外資系クリニックに駆けつけました。 病院で、一旦脳への影響がなさそうだと言われ、一安心はしたところ、あいにく日曜日のため専門医もいません。 休日の担当医らしき普段見たことのないフランス人のお医者さんと話をしながらも緊急の問題ではなさそうな見解を示されました。 しかし、傷の損傷が激しいため、自分が縫うと良くないので専門の先生が用意ができ次第、手術にかかるということになり一旦、帰宅しました。 数時間後再度病院を訪れた時にはすでに夕方を過ぎてました。 外科医と小児科医と麻酔医の方が来て下さり、総勢6名ぐらいいらっしゃったかと思います。 手術が始まったのが午後7時30分過ぎ。オペレーションが終わったのが8時15分頃でした。 まだ4歳に満たない子供のため、1時間近い手術に我慢ができなかっことから全身麻酔をしました。 11時頃になってもまだ、全身麻酔の影響からふらふらしていたため、その後様子を見ていたら結局朝の6時まで病院にいることになりました。 昨日のことで、いろんなことを学びました。 1.人生とは改めてリスクに起こされているということ。ちょっとした事でも命にかかわることが起きるということ。特に子供の場合は、大人よりも死のリスクが高いです。本当に気をつけなければならない。何が起きるかわからないということを改めて肝に銘じなければならないと思いました。 2.マイナス(減点法)で人生を捉えないこと今回のことで長男の額には大きな傷跡が残ることになると思います。薄くはなるかもしれませんがどうなるかわわかりません。ただ、ついてしまった(あるいは親として子供に傷をつけてしまった)事を悔いても何も始まらない。人生とは様々なリスクや傷を負いながら生きていく。生きていることだけでプラスなんだと。起きてしまったことがマイナスなのではなく、プラスの中に様々な問題や取り返しの付かないことが起きていく。その問題や起きてしまったことに対して悔やむのではなく、そのことをバネにして次に行くしか無い。もっと大きな問題が起きてしまった時も同様のことを考えるように心がけようと思います。 3.周りの人への感謝そして最後に、プールサイドで起きてしまった時にインド系のお母さんが二人で一気に駆け寄ってくれて、まず支えてくれました。大丈夫大丈夫だと行って、子供を抱きかかえてくれました。瞬時に人を助けることが出来る人を心から尊敬しました。そして、同じマンションに住む日本人の友人がたまたま病院に行く時のタクシーを譲ってくれて、その後も心配して下さり、下の子(長女)の面倒が必要であれば言ってくださいねと声をかけてくださりました。そして、日曜日にもかかわらず真摯に対応してくれたファミリーメディカルプラクティスの先生や医療スタッフの方々に感謝します。手術の時間が整わずに一度家に戻らざる負えなかったり、対応が一瞬後手になったのですが、医療の現場というのは常に人の命が関係してくる場所。でも働いている人たちは、同じ人間。特にああいった瞬間は患者や患者の親族がナーバスになりがちだし、特に新興国であるベトナムの医療は常に不安がつきまとっています。そんな中でも迅速に対応していただき、緊急で集まり手術していただいた先生方に感謝致します。

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15.Jun, 2015

創立7周年 

創立7周年!! 2015年5月27日、ICONICは会社設立より7周年を迎えました。この7年が短いのか長いのかわかりませんが、7年経ったということだけは事実です。 これまでを振り返って、出来たこと出来てないことたくさんありますが全て受け止めて第8期をトライしたいと思います。 今期は、これまでのキャッシュ・フローを重視した経営からより成長重視路線にシフトしてます。 大型に資金調達をしたわけではないので、スタートアップ界隈を賑わしているような企業さんのようなどでかい投資はできません。 しかし、自身で稼いだお金はフルに使っていきたいと思ってます。 10周年を迎えるまでに今の5倍以上は成長できている状態を目指します。 今期も何卒よろしくお願いいたします! ※写真は昼休みにホーチミンのメンバーとケーキを食べてる様子  

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27.May, 2015
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