これからのグローバル化を考えてみる。(後編 20世紀、21世紀、これから)

前編は帝国主義辺りまでの歴史を振り返ってきました。

いよいよ本題です。

20世紀  
帝国主義時代に比べて人の移動という意味では停滞期だったのではないかなとも居ます。  
企業自体は、常に生産性を追求するために他国に事業展開をらはじめました。
いわゆる企業の駐在員みたいな仕組みができ始めたのもこの頃ではなかいでしょうか。
あくまで、本国に帰ることを前提とした雇用体系。
日本だけでなく世界的な流れとして、これまでの国家及び軍人を起点としたグローバル化から企業をら中心としたグローバル化だったのではないかと思います。
大企業がその資本力を武器にどんどん世界に進出した時代だと思います。
企業がグローバル化したけど、人はそれほどグローバルにならなかったのではないかと思います。
帝国主義時代のほうが、満州国に移り住んだりしていたわけですね。

21世紀 そしてこれから

これからの事を言いたいと思い、本ブログを書き始めたのですがようやく、「これからの未来」に関して到達しました。

これからのグローバル化は「個人を中心とした」形に変わると思います。
経済や社会の仕組みの変化が激しく変わる中で20世紀の企業を中心としたグローバル対応は、コストがかかり過ぎる上、柔軟さに欠けます。
また、一方で、海外で生活するためのハードルが、劇的に下がり始めてます。

■日本のTVがインターネット回線を経由して毎日当たり前に見ることができる。 
■日本人学校が世界中の主な都市には必ずある。 
■各地に日本人街が規模の大小あれどある。
■新聞?そんなもん読まなくてもインターネットの記事で十分すぎるほど日本の情報得られる。 
■飛行機の値段安くなり本数も劇的に増えたので、毎月日本に帰国する事が可能=複居住が可能 
■現実的に海外での就業機会が増えているため、働くことが可能
■エンジニアやデザイナー的なフリーで仕事をしている人はむしろ新興国に住めばコストダウン

ここまで日本人としての生活が出来てしまうと、その昔移住した人はその国の人にならないと生活できなかった時代ではなく、違う国に居ついても、元いた国のアイデンティティーを保ちながら生活したり教育を受ける事が出来る。

そうすると自然に地域にオリエントしない新しい形の人になると思っています。
これはもちろん日本人に限らず、世界各地で同様の事が起きてます。

一番遅れてるのがアメリカなのではないかなと、逆に思ったりなんかもしてしまいます。
(これは、ある意味でですね。) ようは、移民にならなくても世界の地域に属さないで生活する人たちがものすごく増えると思うんですね。 22世紀ぐらいには、人口でいうと1-2割くらいがそうなるのではないかと。
そうなった時の国家のあり方、法律、税金などの整備がまだできてませんが、確実にその方向に進んでいくと思います。

ただ、それとは逆により国に対するアイデンティティがより強くなっていく可能性が高いと予想してます。 つまり、いわゆる僕らは地球人にはならないと思うのです。
幕末の頃、坂本龍馬のような開明的な志士は、「長州、土佐、薩摩ではない日本、日本人のために何が必要かを考えなければいかぜよ。」と 現在、僕たちは国というアイデンティティを強く持っています。 
オリンピックもワールドカップも国別対抗ですよね。

国家という概念が強くなったのは、フランス革命(1787年)からだと言われてます。 
それまでは、自分のアイデンティティというのはメインが宗教やもっと狭いエリア(地方や地域)にあったと言われてます。 
なぜなら、一般の臣民にとって、国家の王様は税金を取られる対象で特にこの王様のために生きているという認識はあまりないわけですね。 
だから、リンカーンが1863年当時に言った「人民の人民による人民のための政治」が未だに名言として残っているわけです。 
それまで、政治の主体は王様で、国民っていうのはアウトオブ眼中なわけです。 
ようは、フランス人とか日本人とかっていう概念が生まれたのが18世紀末ごろからなんですよね。 
時が経て、21世紀初頭に生きる我々のアイデンティティは国籍か宗教のどちらかが圧倒的に多いと思います。
宗教の話は置いておいて、国籍にフォーカスを当てると、僕の場合は日本人です。 
では、22世紀頃にどうなってるかって言うと、もちろんわかりません。 
ただ言える事は、場所や国家に縛られずに生きる個人が想像以上に増えるということです。

これは、世界の仕組みがグローバル化することで、統一化が進み、競争の土壌がにますます一緒になってきたということです。 つまり、ローカルビジネスのフィールドがどんどんとなくなっていき、世界中有で同じレベル感で競争をさらされていくということです。

そうなると教育の仕組みも世界で統一化され始めていきます。
日本人がマレーシアで教育を受けて、アメリカの大学を出た後、東京で働くという人生レベルで様々な場所に移動する人が激増すると思います。 
そしてまた、生活の場所自体も複数持つ人が増えると思います。 
荷物も各拠点に起き、家財道具は場合によってはシェア。 
実際に、自分もオフィスのために家具は買いますが、自分の家や家財道具はほとんど無いと言っていいです。 
東南アジアは外国人向けに家財道具を含めてアパートやマンションを貸してくれます。
そのため、保つ必要がありません。
冷蔵庫も電子レンジも持ってません。
一ヶ月のうち東京に2週間、上海に1週間、ロンドンに1周間みたいな感じで。 
また幼い時期から、様々な人種の人と交流し、様々な場所で生活する。 
こういったライフスタイルが今では一部の人達だけですが、どんどん増えるのではないかなと予想します
100年前に海外に移住するということは、自分の国を捨てることを意味していたと思います。 
新たな土地で生きていくために、必死に生活していたと思います。

言葉もこれまで以上に多くの外国語を使い分けて話すでしょう。
まだうまく自分自身の中でもまとまっていないのですが、これからのグローバル人というか移民は、これまでと同じではないということです。
血筋や国籍以上に、どこの国のオリエンテッドなのかというのが基盤にありながら、グローバル人でなければ少なくとも社会の中心ではいられない。
多言語を扱うのはむしろ当たり前で多言語でない人のほうが少数派になる世界です。

個人的な話になるのですが、長男が4歳です。
日本的な小学1年生になるまで残り3年弱有ります。 
海外在住者にとっての悩みとなるのが子供の教育をどうするかです。 ホーチミンにも日本人学校は有ります。
一般的には、日本人としてのアイデンティティなり漢字をしっかりと教えるためには、日本人学校に入れたほうが良いと言われます。 
インターナショナルスクールに入れるか日本人学校に入れるかはまだ最終的に決めていません。 
最も正当な考え方(王道な考え方)は以下です。
アジアと言う英語が主ではない国で、英語のノンネイティブの親から生まれた(=家庭)の子供が英語で教育を受けることの弊害があるため良くないと。
つまり、言語が分散されて良くないと言われる所以です。

学校:英語  
家庭:日本語  
公的な場所:ベトナム語 

しかし、自分は実はそんなことはないのではないかとも考え始めまてます。 
自分の息子たちが社会へ出て活躍する30年後ぐらい、ちょうど今の自分の年齢になる頃は、2045年頃がどうなのかと。
前述したような事がどんどん進んでいったらどうなんだと。 
逆算した時に、この期のグローバル化する社会のヒントがある気がしてます。 
(ここでは、教育論を語るわけではないので日本人学校が良いかインターナショナルスクールが良いかは一旦外れます。)

もうもはや、言語やカルチャーが場所に依存する要素がどんどん減っていくのではないでしょうか。
複数の場所で多様な人種と接し続けて教育を受ける人たちが増えていくことは確実です。
そういった多様性や複数拠点を同時進行で進んで育っていく人が増えていくと予想されます。
僕らの子供の頃は、転勤族と呼ばれる人たちが日本国内を転々としたように、それが海外間になるイメージです。

そして、これからのグローバル社会で影響力を行使し活躍してくためには、多様なものを受け入れるキャパを持つ人が活躍するのではないかなと思います。
漢字を確実に書ける人ではなく、多様性や不確実性の波を泳げる人ではないかなと感じています。
(もちろん、日本人として漢字や日本語独特の表現を理解する重要性を否定するつもりは有りません。)
不確実ななかでも精神を保ち、未来に向けて今を頑張ることが出来る人が今後求められていく。 
こういった人を育てるための教育が世界的に広がっていくと思われます。
もっと言うと、多様性を受け入れ、不確実性をチャンスに捉えられる人材が真にグローバルな人ではないでしょうか

そして、複数拠点を同時に行き来するライフスタイルが増えていくため、より個人の所有が減っていくのではないでしょうか。
車を所有すること、住む家を購入することは流動性を下げます。 所有するよりもシェアすることを望む人が増えるのではないでしょうか。
家や車は投資用に買うことはあっても、自分が利用するために買う人は徐々に減っていくと思います。

そして、最後に人やお金や情報が行き来する中で、各国がそれぞれ独自ルールで取り締まることに限界が有ります。
したがって、独自の法律だけでは限界があるので、国際ルールで統一するプロトコルが100年とか200年とか掛けて出来ていくんだろうなと思ってます。

今、国際間をまたいでビジネスをしているのでこの問題を痛感しながら生きてます。 
何をするにしてもその国の法律に従わなければならない。 
一方でビジネス自体は本当に国を超えて取引されてます。
商流、金流自体は縛られません。ただ、その従う法律がその国なんですね。 
例えば、Googleはベトナムでサービスをしてます。 が、Google Vietnam Co., Ltdという法人は存在しません。(2015年現在)
けど、ベトナム国内で圧倒的No1の広告メディアであり広告ネットワークです。 
ベトナムは経費計上するためには赤領収書という政府所定の経費を利用しなければなりません。
外国との取引の場合には、海外契約者税というものを別途払わなければならない。
つまり、直接広告をGoogleに出稿しようとすると経費として認められない。
(正確には出来るのですがよりコスト増) ので、広告代理店を挟んだりするわけですね。 
直接やりたい事業者は、代理店費用を払った上で、費用計上できるっわけです。
これは、一事例なのですが、インターネットサービスやインターネット広告っていうのは場所に依存しない。 
けど、税や法律はその国によって違う。

これ本当に難しい問題なんですね。
トラブルなんかの時もほんとうに難しいです。
どっちの法律で裁くの?
っていうか、国をまたぐと一気に、ルールのハードルが上がるんですよね。
取引コストが一気に上るのが現在の仕組みの問題点。 
つらつらと書いてきたが、まとめると、

これからのグルーバルする中で人の意識や動きは

1.個人単位で移動しまくる。 
20世紀ぐらいまでの海外在住者っていうのは、その国に染まらなければ生きていけなかった。 
もしくは、駐在員のように期間限定の海外在住者であれば、交わらずに済んだ。
今後、駐在員問といった雇用形態よりもより現地での雇用が主流になっていく上、個人が選んで海外で働くようになる。
そして多拠点で生活する人がものすごく増える。

2.国というアイデンティはより強くなるが、各国のみが持つ役割は減る。
一国の中だけで生きていく人はより減っていくが、海外に出た人もその出身国や国におりえんとされた生活スタイルは変わらない。
しかし、国が管理する分野どんどん減っていくのではないでしょうか?(社会保障や医療制度、福祉など)
別の国で住んでいても、情報やカルチャーは国境を超えるため、より出身国へのアイデンティティは強くなっていくと思います。

3.教育もグローバル化が進む。 
ビジネスなり経済なりがグローバル化していくため、ローカル主導での競争優位性が高い分野が減っていく。
そのため、付加価値が高い人間になるためにはグローバルに統一化されたフォーマット上で優位性が高い人間が生き残っていく。 その優位性というのは多様性を利用できたり、不確実性をチャンスに変える人間。

4.所有よりも流動性が高くなる。 
海外を行き来するので、個人で所有するよりもシェアしたほうが得だし樂。
車も家も持たない又は持ったとしても投資用になる可能性が高い。

5.国際間での協力した統一フォーマットを基軸とした社会になっていく。
一方でピケティが主張しているように国際間で取り決めた税のルールがより一層進むと思われる。 一国のルールだけで取り締まることが出来る範囲は限定的となりより、国と国の協力が求められるため一国の

参照ページ

これからのグローバル化を考えてみる。(前篇 ~19世紀まで)

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