何気ない幸せと夢と志

最近、思うことが色々とあります。

色々と思う事は、徐々に書いていくとして、こうやってブログを書きながら、何かこうかなぁぁぁなんて思ってます。

 

あっ そうそう、一昨日日本から帰ってきました。

この2日間で既にもう、日本にいた事は遠い過去のような感じになってしまった。

 

いやはや、海外生活をしている身で、プライベートで日本に帰る事は、極上満足感たっぷりな感じなわけです。

やっぱり、便利や快適というのはたまに味わうからこそ、価値があるってなもんですね。普段からそれだと、何気ない幸せを見逃してしまうような感じですかね。

 

だからといって、夢や志が必要ないという話ではない。(いきなり話は展開するが、ここからが今日の本題)

 

夢や志に向っている上で、小さな幸せを感じれるって言う状態が理想のような気がする。

特に裸で生きる状態を選ぶと、常にこの「小さな幸せ」と「夢や志」を感じるために生きている気がする。

常に、自分と向き合い常に自分の足りなさともう一方の自信の部分が交互に襲ってくる。

でも、この感覚が生きているって感じだと思う。そもそも、人間なんて動物だし、原始時代や近代は今と比べて、常に「生」を感じながら生きていたと思う。こういう野生的な感覚を大事にしないと、何か大事なものを見失ってしまう気がする。

 

そのために必要な方法は、「裸で生きる」という事なのではないかと思う。背伸びするのではなく、リスクから守られているという錯覚にとらわれて生きるのではなく、裸で生きようとする意思を持つことが、、この何気ない幸せと夢と志を両立する方法の一つなんじゃないかと。

 

自分なりの解釈として裸で生きるという事は、「自分自身の内なる声に常に耳を傾け続け、そして実行していく。」ことだと思ってます。自分をごまかしたり、誰かに良く見られようとしたり、外部の流れ流されたりするのではなく、常に自分の内なる声に耳を傾け続ければ良いんじゃないか?そんな気がします。

 

実はこのうちなる声を聞き続けるって以外に大変なんですけどね。ほっとくと、人は思考停止してしまうんでね。いわゆるルーティンの繰り返しってやつです。それじゃ、何気ない幸せや夢や志は得られないし、野生的な感覚も鈍っていきますね。

 

何気なくつらつらと書きなぐってしまった。

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